LESSON 01

黒船来航と開国

日米修好通商条約はなぜ不平等と呼ばれたのか

1858年の通商開始、開港場、領事裁判権、関税自主権の制約を読み、勅許を得ない調印が国内政治を揺らした理由を理解します。

このレッスンの役割

日米和親条約では補給と国交が中心でした。今回はアメリカ総領事ハリスとの交渉を経て、1858年に結ばれた日米修好通商条約を学びます。

中心技能は、開港だけで「不平等」と呼ばず、司法権と関税の決定権がどう制限されたかを説明することです。

なぜ通商条約を結んだのか

ハリスは、清が再び欧米との戦争で苦戦している情勢を示し、平和的に通商を始める方がよいと迫りました。

幕府は軍事衝突を避け、交渉で条件を整えようとします。しかし国内では、通商に反対する意見や、重要な外交には天皇の許可(勅許)が必要だという意見が強まりました。

主な内容

  • 神奈川(実際の貿易港は横浜)・長崎・新潟・兵庫などを順次開く
  • 江戸・大阪を外国人に開く
  • アメリカ人の領事裁判権を認める
  • 関税率を日本だけで自由に決めにくい
  • 金銀の交換や貿易の規則を定める

どの主権が制限されたか

条件 制限された力
領事裁判権 日本国内の外国人を日本の裁判で裁く司法権
関税自主権の制約 輸入品へかける税率を自国で決める権限

港を開くこと自体が不平等なのではありません。相手国だけに有利な権利があり、日本が自国のルールを十分に決められない点が問題です。

勅許を得ない調印

大老井伊直弼は、天皇の許可を得ないまま条約へ調印しました。幕府は外交の決定権をもつと考えましたが、反対派は重大な国策を独断で決めたと批判します。

外交問題が、幕府と朝廷、幕府内部、諸藩の権力争いと結びつきました。

条約改正が明治の課題になる

領事裁判権の撤廃と関税自主権の回復は、明治政府に引き継がれる長期的な外交課題になります。後の「岩倉使節団と条約改正」へつながる重要な前提です。

よくある間違い

「外国人は日本で何をしても罰せられなかった」「関税が一切なかった」は言いすぎです。外国人は領事裁判で裁かれ、関税はありましたが、日本側の司法・関税決定の自主性が制限されました。

自分で確かめよう

確認1:不平等とされる二つの条件は何ですか領事裁判権を認めたことと、関税自主権が制限されたことです。
確認2:開港そのものと不平等性を区別してください貿易港を開くことではなく、司法や関税で相手国だけに有利な条件があることが不平等性です。
確認3:勅許なしの調印が政治問題になったのはなぜですか外交を誰が最終決定するのかをめぐり、幕府と朝廷・諸藩の権威が争われたからです。

次は通商開始が、生糸輸出・外国製品・金銀・物価を通して人々の暮らしをどう変えたかを見ます。

クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。