このレッスンの役割
前のレッスンでは、西部戦線が塹壕による消耗戦になったことを学びました。今回は東ヨーロッパと中東へ視野を広げ、戦線ごとの違いを理解します。
中心技能は、西部・東部・中東の戦線を地図上で区別することです。
東部戦線
東部戦線では、ドイツ・オーストリア=ハンガリーとロシアが主に戦いました。西部戦線より地域が広く、軍隊が移動する余地も大きかったため、戦線は比較的動きました。
1914年、ドイツ軍はタンネンベルクの戦いでロシア軍を破りました。しかしロシアは多数の兵士を動員でき、戦争は続きます。
| 西部戦線 | 東部戦線 |
|---|---|
| フランス・ベルギー中心 | 東欧・ロシア西部中心 |
| 塹壕線が固定 | 戦線がより大きく移動 |
| ドイツ対フランス・イギリスなど | ドイツ・オーストリア対ロシア |
オスマン帝国の参戦
オスマン帝国は同盟国側で参戦しました。これにより黒海、コーカサス、中東、ダーダネルス海峡などへ戦場が広がります。
連合国はロシアへ物資を送る海路を確保するため、1915年にガリポリ半島へ上陸しました。しかしオスマン軍の抵抗で失敗しました。
中東での戦い
イギリスはインドへの航路や石油資源を重視し、エジプト・メソポタミア方面で戦いました。またアラブ人勢力にオスマン帝国からの独立を働きかけました。
一方でイギリスは、戦後の中東についてアラブ側、フランス、ユダヤ人側へ互いに両立しにくい約束を行いました。これは後の中東問題の背景になります。
よくある間違い
「第一次世界大戦はフランスの塹壕だけで行われた」という誤りです。東欧、バルカン、中東、アフリカ、アジア、海上でも戦われました。
確認1:東部戦線が西部戦線より動きやすかった理由は何ですか。
戦う地域が広く、北海からスイスまで続くような連続した塹壕線が形成されにくかったからです。
確認2:連合国がガリポリを攻撃した目的は何ですか。
海峡を通ってロシアへの補給路を確保し、オスマン帝国を戦争から脱落させるためです。
確認3:オスマン帝国の参戦で戦場はどこへ広がりましたか。
黒海・コーカサス・ダーダネルス海峡・中東などへ広がりました。
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次は、植民地の兵士と資源、日本の参戦を通して、ヨーロッパの戦争が本当の世界戦争になった様子を学びます。
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