このレッスンの役割
前のレッスンでは、日本がロシア革命へ軍事干渉したことを学びました。今回は、日本の植民地だった朝鮮で1919年に起きた三・一独立運動を、朝鮮の人々の視点から考えます。
中心技能は、運動の背景・方法・日本の対応・結果を四段階で説明することです。
背景
1910年の韓国併合後、朝鮮総督府は憲兵警察を用いる強い統治を行いました。言論・集会・政治参加は制限され、土地・教育・文化をめぐる不満もありました。
第一次世界大戦後、ウィルソンの民族自決という言葉が伝わり、独立への期待が高まりました。ただし列強は民族自決を植民地へ広く適用する予定ではありませんでした。
1919年3月1日
宗教家や学生らが独立宣言を発表し、「独立万歳」と唱える非暴力のデモが始まりました。運動は都市から農村へ、朝鮮全土へ広がりました。
植民地支配への不満 + 民族自決への期待 + 宗教・学校・市場などのネットワーク → 独立宣言 → 各地のデモ
日本の対応
日本の軍・警察は運動を武力で鎮圧し、多数の死傷者・逮捕者が出ました。運動はすぐ独立を実現できませんでした。
しかし日本は、その後の統治を「文化政治」と呼ぶ方式へ変え、表面的には言論や教育の一部を緩和しました。一方、警察組織や同化政策は続き、植民地支配の基本は変わりませんでした。
国際的な影響
運動後、上海では大韓民国臨時政府が組織されました。朝鮮の独立運動は国外にも拠点を持ち、長期に続きます。
よくある間違い
「民族自決が認められたので朝鮮が独立した」という誤りです。理念は運動を励ましましたが、列強は植民地支配を維持し、日本も独立を認めませんでした。
確認1:三・一独立運動が起きた年と日付はいつですか。
1919年3月1日です。
確認2:運動が全国へ広がった理由は何ですか。
植民地支配への共通の不満があり、宗教・学校・市場などの人々のネットワークが宣言とデモを伝えたからです。
確認3:運動後の統治はどう変わり、何が残りましたか。
表面的には文化政治として一部緩和されましたが、警察・同化政策と植民地支配の基本は残りました。
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同じ1919年、中国では山東問題をきっかけに五・四運動が起きます。次は学生運動が全国的な民族運動へ広がる過程を学びます。
クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。