LESSON 01

第二次世界大戦と太平洋戦争

宥和政策はなぜドイツの拡大を止められなかったのか

再軍備、ラインラント進駐、オーストリア併合、ミュンヘン会談を選択の連鎖で整理します。

このレッスンの役割

前のセクションでは、日中戦争が長期化し、日本と欧米の対立が深まったことを学びました。ここからはヨーロッパの戦争とアジアの戦争が結びつき、第二次世界大戦となる過程を追います。

中心技能は、イギリス・フランスの宥和政策の目的と限界を、当時の条件から説明することです。次は、独ソ不可侵条約とポーランド侵攻による開戦へ進みます。

おすすめの学び方

宥和政策を単なる「弱さ」と決めつけず、なぜ選ばれ、どこで判断を誤ったかを考えましょう。

ドイツの段階的な拡大

ヒトラーはベルサイユ条約の制限を破り、再軍備を進めました。1936年には非武装地帯だったラインラントへ軍を進め、1938年にはオーストリアを併合しました。

イギリスとフランスは強い軍事行動を取りませんでした。第一次世界大戦の大きな犠牲を繰り返したくない世論、世界恐慌後の経済、軍備の不足、共産主義への警戒がありました。また、条約がドイツに厳しすぎたという考えもありました。

ミュンヘン会談

1938年、ヒトラーはチェコスロバキアのズデーテン地方を要求しました。イギリス、フランス、ドイツ、イタリアがミュンヘン会談を開き、チェコスロバキア本人を決定の中心に入れないまま、ドイツへの割譲を認めました。

宥和政策の期待 実際に起きたこと
限定的な要求を認めれば戦争を避けられる ヒトラーは要求をさらに広げた
再軍備の時間を得られる ドイツも軍備と支配地域を拡大した
民族自決の問題を解決できる チェコスロバキアの主権と防衛力が損なわれた
交渉で秩序へ戻せる 1939年、ドイツは残るチェコ地域も支配した

宥和政策は戦争を望んだ政策ではありません。戦争を避けようとした政策が、侵略の限界を明確に示せず、ヒトラーへ「さらに進める」と判断させた点が問題です。

よくある間違い

「ミュンヘン会談で第二次世界大戦が始まった」としないようにします。会談は1938年で、ヨーロッパでの開戦は1939年のポーランド侵攻です。ただし、開戦へ至る重要な前段階でした。

自分で確かめよう

確認1:英仏が宥和政策を選んだ理由を二つ挙げよう 第一次世界大戦の再来を避けたい世論、軍備不足、経済問題、共産主義への警戒、条約への見直し意識などです。
確認2:ミュンヘン会談で決定から外された国は? 領土を割譲させられたチェコスロバキアです。
確認3:宥和政策の限界を一文で説明しよう 譲歩すれば要求が止まると期待したが、侵略の限界を示せず、ヒトラーのさらなる拡大を許しました。

まとめと次の一歩

宥和政策は戦争回避を目指しましたが、侵略を止める境界を示せませんでした。次は、対立していたドイツとソ連が協定を結び、ポーランド侵攻へ進んだ理由を学びます。

クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。