このレッスンの役割
前のレッスンでは、民族自決への期待が朝鮮の三・一独立運動を励ましたことを学びました。今回は、中国で同じ1919年に起きた五・四運動を比較します。
中心技能は、外交への抗議が学生から商人・労働者へ広がった理由を説明することです。
山東問題
日本は大戦中にドイツの山東権益を占領し、二十一か条の要求で中国政府に継承を認めさせました。
パリ講和会議で中国代表は山東権益の返還を求めました。しかし会議は、日本がその権益を引き継ぐことを認めました。
民族自決への期待 + 山東を中国へ返さない決定 → 「戦勝国側なのに主権が尊重されない」 → 中国国内の怒り
1919年5月4日
北京の学生が講和条約への調印拒否と親日派官僚の処罰を求めてデモを行いました。政府が学生を逮捕すると、運動は各地へ広がります。
学生デモ → 政府の弾圧 → 商人が日本製品をボイコット → 労働者がストライキ → 全国的な反帝国主義・民族運動
経済活動を止めることで政治へ圧力をかけました。
新文化運動との結びつき
五・四運動の背景には、民主主義・科学・口語文などを広げ、古い社会や思想を批判する新文化運動がありました。学生と知識人は、外交だけでなく中国社会全体の改革を求めました。
結果と影響
中国代表団はベルサイユ条約への調印を拒否しました。運動は日本製品排斥、民族産業支持、政治思想の広がりへつながり、中国国民党や中国共産党の発展にも影響しました。
三・一運動との比較
共通:1919年、民族自決への期待、日本の進出への反発 違い:朝鮮は植民地からの独立、中国は主権と山東権益の回復
確認1:五・四運動の直接のきっかけは何ですか。
パリ講和会議が山東省の旧ドイツ権益を日本へ引き継がせると決めたことです。
確認2:学生運動が全国的な圧力になったのはなぜですか。
商人が日本製品をボイコットし、労働者がストライキを行い、経済活動を通じて政府へ圧力をかけたからです。
確認3:三・一独立運動との共通点と違いを答えましょう。
共通点は1919年の民族自決への期待と日本への反発、違いは朝鮮が植民地独立、中国が主権と山東権益回復を求めた点です。
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最後に、日本の参戦・大戦景気・対中要求・米騒動・二つの民族運動を一つの因果関係としてまとめます。
クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。