このレッスンの役割
前のレッスンでは、バルカン半島に民族対立と大国の利害が集中していたことを学びました。ここでは1914年のサラエボ事件から最初の宣戦までを追います。
事件
1914年6月、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ=フェルディナント夫妻が、ボスニアのサラエボでセルビア系青年に暗殺されました。
犯人は南スラブ統一を目指す考えを持ち、セルビアの秘密組織とつながりがありました。しかしセルビア政府全体が暗殺を直接命令したと単純化しないよう注意します。
七月危機
暗殺 → ドイツがオーストリアへの強い支持を約束 → オーストリアがセルビアへ厳しい最後通牒 → セルビアは多くを受け入れるが一部を拒否 → オーストリアがセルビアへ宣戦 → ロシアがセルビア支援のため動員
事件から開戦まで約一か月あります。その間に各国指導者が選択をしました。
引き金と原因
サラエボ事件:直接の引き金 帝国主義・軍拡:長期原因 同盟対立:拡大の条件 バルカン民族問題:地域の緊張 最後通牒・動員:開戦直前の決定
「暗殺されたから戦争になった」だけでは、なぜ世界大戦になったか説明できません。
最後通牒とは
相手国へ条件と期限を示し、受け入れなければ重大な行動を取ると迫る外交文書です。交渉の形を持ちながら、相手が受け入れにくい条件なら戦争への圧力になります。
確認1:サラエボ事件で暗殺された人物はだれですか。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ=フェルディナントです。
確認2:サラエボ事件を「引き金」と呼ぶのはなぜですか。
事件以前から帝国主義、同盟、軍拡、民族対立があり、暗殺はそれらを開戦へ動かす直接のきっかけだったからです。
確認3:事件後すぐ自動的に戦争になったわけではないといえるのはなぜですか。
最後通牒、支援約束、動員、宣戦など、各国政府が一か月の間に複数の判断をしたからです。
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オーストリアとセルビアの戦争は数日で大国を巻き込みます。次は動員と軍事計画が参戦を連鎖させた仕組みを追います。