LESSON 01

大正デモクラシーと民衆運動

女性運動は政治参加への壁をどう崩したのか

青鞜・新婦人協会・政治集会参加から、女性運動の前進と限界を理解します。

このレッスンの役割

前のレッスンでは、労働者と農民が組織を作って生活要求を訴えたことを学びました。今回は、女性が言論・団体・法改正運動で政治参加への壁を崩した過程を考えます。

中心技能は、文化的な自己表現と政治的な権利運動をつなげることです。

「新しい女」

1911年、平塚らいてうらは女性による文芸雑誌『青鞜』を創刊しました。女性が家制度や社会の役割に従うだけでなく、自分の人生と思想を表現する場を作りました。

文章を書く → 経験と不平等を言葉にする → 読者と問題を共有 → 社会制度の改革要求へ

新婦人協会

1920年、平塚らいてう、市川房枝らは新婦人協会を結成しました。当時、女性は政治集会に参加することさえ法律で禁じられていました。

協会は法改正を求め、1922年に女性の政治集会参加を禁じる規定が改められました。

前進 残った制限
政治集会へ参加可能 選挙権・被選挙権はない
女性団体と請願 家制度の制約
教育・職業の拡大 賃金・雇用の差
公の場で発言 取り締まりや社会的偏見

普通選挙から除外

1925年の普通選挙法は男性だけを対象としました。女性参政権運動は続きますが、国政選挙権の実現は第二次世界大戦後です。

「女性の社会進出が増えた」ことと「政治的に平等になった」ことを分けます。

確認1:『青鞜』にはどんな役割がありましたか。

女性が自分の経験と思想を表現し、家制度や性別役割の問題を社会へ示す場になりました。

確認2:新婦人協会が実現した法改正は何ですか。

女性が政治集会へ参加することを禁じていた規定の改正です。

確認3:1925年時点の女性運動の前進と限界を答えましょう。

政治集会参加や公的発言は広がりましたが、選挙権・被選挙権は認められませんでした。

次のレッスンへ

次は、被差別部落の人々が自ら全国水平社を結成し、差別からの解放を宣言した意味を学びます。

クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。