このレッスンの役割
前のレッスンでは、大正デモクラシーが政党・選挙・社会運動を広げた流れだと学びました。今回は、1918年に成立した原敬内閣を制度面から考えます。
中心技能は、「平民宰相」という呼び名だけでなく、政党と議会を基盤にした点を説明することです。
原敬と立憲政友会
原敬は衆議院で多数を持つ立憲政友会の総裁でした。首相だけでなく、陸軍・海軍・外務の大臣を除く多くの大臣を政友会員から選びました。
衆議院の多数党 → 党首が首相 → 政党員を中心に内閣 → 議会の支持で政策・予算を進める
このため、本格的な政党内閣と呼ばれます。
なぜ「平民宰相」か
原敬は華族の爵位を受けず、衆議院議員から首相になったため「平民宰相」と呼ばれました。ただし裕福な政治家であり、すべての庶民の代表だったという意味ではありません。
政策と政党の利点・問題
原内閣は鉄道、道路、学校など地域への公共事業を進めました。政党は有権者の要望を政策へつなげる一方、利益誘導や汚職への批判も受けました。
| 前進 | 限界 |
|---|---|
| 衆議院多数党が内閣を支える | 選挙権が富裕な男性に限定 |
| 有権者の要望を政策へ反映 | 地方利益と党勢拡大が優先されることもある |
| 政党間で政権を競う土台 | 軍・元老・貴族院の力も残る |
原敬の暗殺後
原敬は1921年に暗殺されました。その後も政党政治は揺れましたが、1924年以降、衆議院多数派を基盤とする内閣が続く「憲政の常道」へつながります。
確認1:原敬内閣が本格的政党内閣と呼ばれる理由は何ですか。
衆議院多数党の党首が首相となり、政党員を中心に内閣を組織したからです。
確認2:「平民宰相」は何を意味しますか。
原敬が華族の爵位を持たず、衆議院議員を基盤に首相となったことを示します。
確認3:政党政治の前進と限界を一つずつ答えましょう。
衆議院多数派が政策を担う前進があった一方、選挙権の制限や軍・元老など議会外の力が残りました。
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政党政治を支えるには、より多くの人が投票できる必要があります。次は普通選挙運動と1925年の法律を学びます。
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