LESSON 01

満州事変から日中戦争へ

五・一五事件と二・二六事件は政治をどう変えたのか

暗殺とクーデター未遂が政党内閣を終わらせ、軍へ反対しにくい政治を生んだ過程を学びます。

このレッスンの役割

前回は、日本が満州国をめぐって国際連盟から離れたことを学びました。今回は、国内で政治家への暴力が広がり、政党政治と文民統制が弱まった過程を追います。

中心技能は、五・一五事件と二・二六事件の違いを押さえ、失敗した反乱も政治を変えた理由を説明することです。次は、日中戦争が始まり拡大した過程へ進みます。

おすすめの学び方

事件名・年号・実行者を覚えた後、「事件後に誰が発言しにくくなったか」を考えましょう。

五・一五事件

1932年5月15日、海軍の青年将校らが犬養毅首相を暗殺しました。その後、政党の党首を首相とする本格的な政党内閣は途切れました。

裁判では実行者への同情や減刑を求める声もあり、政治的暴力を強く否定しにくい空気が生まれました。満州事変の軍事的成功が報じられる中、軍への支持も高まっていました。

二・二六事件

1936年2月26日、陸軍の青年将校らが兵を率いて東京中心部を占拠し、政府要人を殺害しました。彼らは天皇を中心とする政治改革を掲げましたが、天皇は鎮圧を命じ、反乱は失敗しました。

事件 主な実行者 結果 政治への長期的影響
五・一五事件 海軍青年将校ら 首相暗殺 政党内閣が終わる
二・二六事件 陸軍青年将校ら クーデター未遂、鎮圧 軍首脳の政治的発言力が強まる

二・二六事件は失敗しましたが、その後、軍内部では統制派が主導権を握り、軍の要求が政治へ通りやすくなりました。政治家は暗殺や反乱を恐れ、軍へ強く反対しにくくなりました。

暴力が制度を変える仕組み

暴力は、標的となった人だけに影響するのではありません。「反対すれば自分も襲われるかもしれない」と他の政治家や市民へ伝わります。その結果、議論の範囲が狭くなり、選挙で選ばれていない軍人の意見が強まります。

よくある間違い

二・二六事件が失敗したので軍部が弱くなった、と単純に考えないようにします。反乱を起こした派閥は処罰されましたが、軍組織全体の政治への影響はむしろ強まりました。

自分で確かめよう

確認1:五・一五事件後に途切れたものは? 政党の党首を首相とする本格的な政党内閣です。
確認2:二・二六事件は成功した? 反乱そのものは鎮圧され失敗しました。しかし、その後も軍の政治的影響は強まりました。
確認3:政治的暴力が議論を狭める理由は? 反対意見を言う人が攻撃を恐れ、軍や暴力を用いる勢力へ強く反対しにくくなるからです。

まとめと次の一歩

二つの事件は、政党政治を後退させ、軍へ反対しにくい環境をつくりました。次は盧溝橋事件をきっかけに、限定的な衝突が全面的な日中戦争へ広がった過程を学びます。

クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。