このレッスンの役割
公害裁判と住民運動が企業責任を明らかにしました。ここでは、国の政策が経済成長との「調和」を優先する姿勢から、健康と環境を守る規制へ転換した過程を学びます。
初期の公害対策の弱さ
1967年に公害対策基本法が制定されましたが、当初は「経済の健全な発展との調和」を図る考えが含まれていました。健康被害が深刻な中で、経済成長を優先して規制が弱くなるとの批判がありました。
1970年の公害国会
1970年の臨時国会は「公害国会」と呼ばれ、公害関係の法律がまとめて制定・改正されました。経済調和条項が削除され、国や企業の責任、排出規制が強化されました。
1971年の環境庁
1971年、各省庁に分かれていた公害・環境行政をまとめる環境庁が発足しました。2001年に環境省へ移行します。行政組織を作るだけでなく、環境基準、監視、排出規制、被害者救済を組み合わせることが重要です。
費用を誰が負担するか
汚染者負担原則では、公害防止や原状回復の費用を原因者が負担します。税金だけで社会全体が処理すると、汚染を出した企業が十分な責任を負わない可能性があります。
間違えやすい点
公害対策基本法の制定だけで対策が完成したわけではありません。被害の拡大、裁判、住民運動を受けて、1970年に規制が大きく強化されました。
確認1:公害対策基本法が制定された年は?
1967年です。確認2:「公害国会」は何年?
1970年です。確認3:環境庁が発足した年は?
1971年です。次へ進む前に
1967→1970→1971の順と、それぞれの意味を説明できれば合格です。次は資料から公害の原因・責任・予防を総合します。
クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。