このレッスンの役割
前のレッスンでは米ソ対立の原因を学びました。ここでは、その警戒が政策として形になり、ヨーロッパの国々を二つの陣営へまとめていった過程を見ます。
アメリカの封じ込め政策
1947年、アメリカのトルーマン大統領は、社会主義の影響を受けそうな国を支援する方針を示しました。これがトルーマン・ドクトリンです。社会主義の拡大をこれ以上広げないため、「封じ込め政策」と呼ばれます。
同じ年、マーシャル国務長官はヨーロッパ復興計画を提案しました。食料、設備、資金などを援助し、西ヨーロッパの経済を立て直すマーシャル・プランです。
なぜ経済援助が冷戦政策なのか
戦争で生活が崩れ、失業や物不足が深刻になると、急進的な政治運動が支持される可能性があります。アメリカは復興を助けることで社会を安定させ、社会主義の拡大を防ごうとしました。経済政策と安全保障政策はつながっていたのです。
ソ連側の対抗
| 西側 | 東側 |
|---|---|
| トルーマン・ドクトリン | コミンフォルムで共産党間の連携 |
| マーシャル・プラン | コメコンで経済協力 |
| アメリカ中心 | ソ連中心 |
年代と用語の整理
入試では、1947年のトルーマン・ドクトリンとマーシャル・プランを一組で問われることがあります。前者は政治・軍事的な支援方針、後者は経済復興援助です。「二つとも同じ政策名」ではありません。
確認1:封じ込め政策の目的は?
社会主義の影響がこれ以上広がるのを防ぐことです。確認2:マーシャル・プランは単なる善意の援助?
復興支援であると同時に、西ヨーロッパを安定させ社会主義の拡大を防ぐ冷戦政策でもありました。確認3:コメコンはどちらの陣営?
ソ連を中心とする東側陣営の経済協力組織です。次へ進む前に
政治的方針、経済援助、東側の対抗策を対応させて説明できれば合格です。次は、陣営分裂が最もはっきり表れたドイツとベルリンを見ます。
クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。