LESSON 01

岩倉使節団と条約改正

関税自主権回復までを資料で説明しよう

開国から1911年までを、主権回復という一本の流れに整理します。

このレッスンの役割

このセクションの仕上げです。岩倉使節団の失敗、国内制度の整備、領事裁判権の撤廃、関税自主権の回復を一つの流れとして説明できるようにします。

年号をばらばらに暗記するのではなく、「残っていた問題は何か」を各段階で確かめます。

二つの不平等を分ける

問題 意味 回復の節目
領事裁判権 日本にいる外国人を日本の裁判所で裁けない 1894年に改正条約、1899年に撤廃実施
関税自主権 輸入品の関税率を日本だけで自由に決められない 1911年に完全回復

この二つを混同すると、人物や年号まで連鎖して間違えやすくなります。

条約改正の長い道のり

1858年 安政の五カ国条約 → 領事裁判権を認め、関税自主権も制限された

1871〜1873年 岩倉使節団 → 交渉の準備不足を知り、国内制度の整備を急ぐ

1880年代 井上馨・大隈重信の交渉 → 国内の反対などでまとまらない

1894年 陸奥宗光・日英通商航海条約 → 領事裁判権撤廃への道が開く

1899年 改正条約を実施 → 領事裁判権が撤廃される

1911年 小村寿太郎 → 関税自主権を完全に回復する

なぜ1911年までかかったのか

外国との条約は、日本だけの意思では変えられません。相手国の同意が必要です。そのため日本は、国内の法制度を整え、外交交渉を重ね、国際社会での立場を変えていきました。

日清・日露戦争を経て日本の国際的な立場が変化したことも、交渉の背景になりました。ただし、「戦争に勝ったから自動的に回復した」のではありません。制度整備と長年の外交交渉があってこその結果です。

資料問題の読み方

条約改正を問う資料では、次の言葉に印を付けます。

  • 裁判、外国人、領事:領事裁判権
  • 輸入品、税率、関税:関税自主権
  • 陸奥宗光、1894年:日英通商航海条約
  • 小村寿太郎、1911年:関税自主権の完全回復

人物だけでなく、「何を回復した人物か」までセットで整理します。

自分の言葉で説明する

次の型を使うと、記述問題を組み立てやすくなります。

日本は、まず[国内で行ったこと]を進めた。その上で[人物]が[相手国]と交渉し、[回復した権利]を実現した。最後に[人物]が1911年に[残った権利]を回復した。

解答例: 日本は法律や裁判制度を整えた上で、陸奥宗光がイギリスと交渉し、領事裁判権の撤廃を実現した。さらに小村寿太郎が1911年に関税自主権を完全に回復した。

間違えやすいポイント

  • 陸奥宗光と小村寿太郎の成果を逆にしない
  • 条約締結年と実施年を分ける
  • 岩倉使節団の交渉は成功ではなく、その後の近代化の課題を明確にした
  • 条約改正を戦争の勝利だけで説明しない
確認1:陸奥宗光と小村寿太郎の成果をそれぞれ答えましょう。

陸奥宗光は領事裁判権撤廃への条約改正を実現し、小村寿太郎は1911年に関税自主権を完全に回復しました。

確認2:岩倉使節団の交渉失敗には、どんな歴史的意味がありましたか。

欧米が国内制度の整備を重視していると知り、日本が法律・裁判・政治制度の近代化を進める契機になりました。

確認3:「条約改正は外交だけの成果である」は正しいですか。

正しくありません。外交交渉に加え、国内制度の整備、世論、国際情勢の変化が重なって実現しました。

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岩倉使節団から帰国した政府内では、政治の進め方をめぐる対立が起こりました。次は、政府を去った人々や各地の人々が、なぜ国会と権利を求めたのかを学びます。