このレッスンの役割
大政奉還で慶喜は政治権限を返しましたが、徳川家はなお大きな力をもっていました。今回は1867年末の王政復古を学びます。
中心技能は、大政奉還と王政復古を同じ出来事にせず、「権限返上」と「新政府樹立」の違いを説明することです。
王政復古の大号令
薩摩・長州などの倒幕側は朝廷内で主導権を握り、王政復古の大号令を出しました。
- 幕府と将軍職を廃止する
- 摂政・関白など旧来の役職も廃止する
- 総裁・議定・参与という新しい役職を置く
「昔の天皇政治へそのまま戻す」のではなく、天皇を中心に新しい政府組織を作ろうとした動きです。
大政奉還との違い
| 大政奉還 | 王政復古 |
|---|---|
| 慶喜が政治権限を朝廷へ返す | 幕府・将軍職を廃止する |
| 徳川家の新政府参加を残しうる | 倒幕勢力が新政府の主導権を握る |
| 政権移行の入口 | 新しい政府組織の宣言 |
順番と目的を区別しましょう。
小御所会議
朝廷の小御所で会議が開かれ、慶喜に官職を辞めさせ、領地の一部返上を求める辞官納地が議論されました。
徳川家の政治・経済力を小さくしなければ、新政府の実権を握られるという警戒がありました。一方、慶喜を排除する急進策へ反対する意見もありました。
なぜ対立が戦争へ向かったのか
旧幕府側は、辞官納地や京都での政治状況へ反発します。江戸での挑発行動なども重なり、旧幕府軍は京都方面へ進みました。
権力の移行方法を交渉で決められず、軍事衝突へ近づきます。
よくある間違い
「王政復古は平安時代の制度を完全に復活させた」「大政奉還の直後から全員が新政府へ従った」は誤りです。新制度を作る政治変革であり、旧幕府側との対立が続きました。
自分で確かめよう
確認1:大政奉還と王政復古の違いは何ですか
前者は政治権限の返上、後者は幕府・将軍職を廃して新政府を作る宣言です。確認2:辞官納地は何を求めましたか
慶喜が官職を辞め、徳川家の領地の一部を返すことです。確認3:なぜ徳川家の力が争点になりましたか
大きな領地・軍事・人材をもつ徳川家が新政府の主導権を握る可能性があったためです。次は鳥羽・伏見から箱館まで続く戊辰戦争を、地域と政治選択から追います。
クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。