LESSON 01

日露戦争と国際関係

日露戦争で日本は本当に余裕をもって勝ったのか

主要な戦闘・兵力・戦費から、勝利と限界を同時に捉えます。

このレッスンの役割

前のレッスンでは、日英同盟が日本の外交を支えたことを学びました。ここでは1904〜1905年の日露戦争を、「強い日本の連勝」という物語だけでなく、人的・財政的限界から考えます。

主な戦い

日本は1904年にロシアと開戦しました。主な戦場は朝鮮・満州・海上です。

出来事 意味
旅順攻囲戦 ロシアの軍港を攻略したが大きな犠牲
奉天会戦 大規模な陸上戦で日本が優勢
日本海海戦 東郷平八郎の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に勝利

地図では、日本から朝鮮、遼東半島の旅順、満州の奉天へ進む方向を確認します。

戦費をどうまかなったか

戦争には莫大な費用が必要でした。政府は増税し、国内外で国債を発行しました。特に外国で国債を買ってもらうことが重要でした。

税・国債 → 武器、船、輸送、兵士への物資 → 戦争継続 → 国民負担と国家の借金が増える

勝っていても限界があった

日本軍は大きな戦いで勝利しましたが、多数の死傷者を出し、兵力・弾薬・資金には限界が近づいていました。ロシアも国内で革命運動が起こり、戦争継続が難しくなっていました。

日本が完全にロシアを占領したわけでも、ロシア本土を降伏させたわけでもありません。両国が続けにくくなったところで、アメリカ大統領セオドア・ローズベルトの仲介により講和交渉が始まりました。

資料の注意

戦勝を描いた絵や新聞は国民を励ます目的があります。死傷者、増税、借金が目立たない資料もあります。「描かれた勝利」と「戦争を続ける能力」を分けます。

確認1:日露戦争の主な陸上戦を二つ答えましょう。

旅順攻囲戦と奉天会戦です。

確認2:日本は戦費をどのように集めましたか。

増税と、国内外での国債発行によって集めました。

確認3:日本が講和を必要としたのはなぜですか。

戦闘で優勢でも人的被害が大きく、兵力・弾薬・財政が限界に近づいていたからです。

次のレッスンへ

次はポーツマス条約を読み、なぜ「勝ったのに賠償金がない」のかを交渉条件から理解します。