LESSON 01

幕府滅亡と明治維新

薩摩・長州は攘夷の失敗から何を学んだのか

薩英戦争と下関戦争を通して欧米の軍事力を知り、両藩が西洋式軍備・貿易・政治戦略へ転換した理由を理解します。

このレッスンの役割

前のレッスンでは、尊王攘夷が外国排除と幕府批判を結んだことを学びました。今回は、薩摩藩と長州藩が実際に欧米と戦い、方針を変える過程を追います。

完成の目安は、「敗れたので降伏した」ではなく、敗戦を情報として軍備・貿易・政治戦略を組み直したと説明できることです。

薩英戦争

1862年の生麦事件で薩摩藩士がイギリス人を殺傷し、賠償問題から1863年に薩英戦争が起きました。

鹿児島は砲撃を受けましたが、薩摩側も抵抗しました。戦いを通して薩摩藩は、イギリスの艦船・砲術・工業力を具体的に知ります。

その後、薩摩藩はイギリスとの関係を改善し、武器購入や留学生派遣などを進めました。

長州藩と下関戦争

長州藩は攘夷を実行し、下関海峡を通る外国船を砲撃しました。1864年、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国艦隊が下関を攻撃し、長州藩は敗れます。

海峡を押さえる長州の戦略に対し、欧米側は連合して軍事力を示しました。

敗戦後の転換

実戦で知ったこと その後の動き
薩摩 英国艦隊の火力と技術 英国と接近、軍備・産業を強化
長州 四国連合艦隊との力の差 西洋式軍備、藩政改革、倒幕へ

外国を拒否するだけでは国を守れない
→ 外国の技術や貿易を利用して力をつける
→ 幕府より先に藩の軍事・財政を改革する
→ 国の政治を変える力をもつ

「攘夷を捨てた」というより、目的を守るため方法を変えたと考えます。

長州藩内部の改革

長州では高杉晋作らが奇兵隊を組織しました。身分にとらわれず農民・町人なども参加する軍隊で、従来の武士だけの軍制とは異なります。

藩内の主導権争いを経て、倒幕へ向かう勢力が強まりました。

よくある間違い

「薩摩と長州は欧米に敗れてすぐ同盟した」「攘夷をやめたので外国に従った」は誤りです。両藩はなお対立しており、外国技術を利用して政治的自立を強めました。

自分で確かめよう

確認1:薩摩・長州が共通して学んだことは何ですか攘夷を軍事力だけで実行するのは困難で、西洋技術を取り入れて軍備を強くする必要があることです。
確認2:敗戦後の薩摩の変化を説明してくださいイギリスと関係を改善し、武器・技術・留学などを通して力をつけました。
確認3:奇兵隊の特徴は何ですか武士だけでなく農民・町人なども参加した、身分にとらわれにくい軍隊です。

次は、対立していた薩摩と長州がなぜ協力し、幕府の長州征討を失敗させたかを学びます。

クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。