このレッスンの役割
前のレッスンでは、農民の生活問題が民権運動と結びついたことを学びました。ここでは、「国民の権利」と言いながら、だれの権利が想定されていたのかを女性の参加から考えます。
女性も演説し、請願した
自由民権運動では、女性も演説会や地域の活動に参加しました。岸田俊子は各地で演説し、女性の教育や自由、男女の不平等を問題にしました。
高知の楠瀬喜多は、女性に選挙権がないのに税を納めるのは不公平だとして、納税を拒否する請願を行いました。「負担があるなら政治参加の権利も必要だ」という考えです。
民権の矛盾
自由民権運動は国民の権利を広げましたが、当時、多くの人が思い描いた「国民」は成人男性が中心でした。女性には国政選挙権がなく、のちには女性の政治集会への参加も法律で制限されます。
| 運動が掲げたもの | 現実にあった制限 |
|---|---|
| 国民の政治参加 | 女性は選挙権を持たない |
| 言論・集会の自由 | 集会や演説が取り締まられる |
| 法の下での権利 | 身分・性別・財産による差が残る |
歴史を評価するときは、「前進した点」と「残った限界」の両方を見ます。
政府の取り締まり
政府は讒謗律、新聞紙条例、集会条例などで言論や集会を取り締まりました。1887年には民権派が地租軽減、言論・集会の自由、外交政策の転換を求める三大事件建白運動を進めましたが、政府は保安条例で多くの活動家を東京から退去させました。
要求が強まる → 政府が取り締まりを強める → 運動が制限される → それでも国会開設への流れは止まらない
現代の基準だけで裁かない
女性に権利がなかった事実を批判的に見ることは大切です。同時に、当時の制度の中で女性たちがどんな言葉と方法を使って権利を主張したかを資料から読み取ります。
確認1:楠瀬喜多の主張を「負担」と「権利」を使って説明しましょう。
税を負担するなら、女性にも政治参加の権利が必要だと主張しました。
確認2:自由民権運動の前進と限界を一つずつ答えましょう。
前進は国会や国民の権利を政治課題にしたこと、限界は女性など多くの人に政治参加の権利が認められなかったことです。
確認3:政府はどのように運動を抑えましたか。
新聞や集会を法律で取り締まり、保安条例で活動家を東京から退去させるなどしました。
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最後に、建白書・政党・私擬憲法・激化事件を年代と因果関係で整理し、次の大日本帝国憲法へつなぎます。