このレッスンの役割
前のレッスンでは、領事裁判権が日本の主権を制限し、事件をきっかけに改正世論が高まったことを学びました。ここでは、陸奥宗光がなぜ交渉を前進させられたのかを分析します。
「有名な人物が交渉に成功した」とだけ覚えず、成功を支えた条件を三つに分けましょう。
条約改正を支えた三つの条件
1. 国内の法律と裁判制度
欧米諸国は、日本の法律や裁判制度が自国民を公正に扱えるのかを気にしていました。日本では憲法の制定、裁判制度や法典の整備が進み、「外国人も同じ法の下で扱える」という説明がしやすくなりました。
2. 国際関係の変化
ロシアが東アジアへ進出する中、イギリスは日本との関係を重視するようになりました。日本側の努力だけでなく、相手国にも協力する理由が生まれたのです。
3. 陸奥宗光の交渉
外務大臣の陸奥宗光は、一度にすべての国とまとめて妥結するのではなく、まずイギリスとの交渉を進めました。1894年、日英通商航海条約が結ばれ、領事裁判権を撤廃する道が開かれました。
| 条約改正を支えた条件 | 内容 |
|---|---|
| 国内制度 | 法律・裁判所・憲法の整備 |
| 国際情勢 | イギリスが日本との協力を重視 |
| 外交 | 陸奥宗光がイギリスと交渉 |
| 結果 | 1894年に条約締結、1899年に領事裁判権撤廃が実施 |
「1894年にすぐ撤廃」ではない
条約は1894年に結ばれましたが、新しい制度が実施されたのは1899年です。「締結」と「実施」を分けて覚えましょう。
1894年 日英通商航海条約を結ぶ → 他国とも同様の条約を結ぶ → 国内で実施の準備を進める → 1899年 領事裁判権の撤廃が実施される
まだ残った課題
領事裁判権は撤廃されましたが、関税自主権は完全には回復していませんでした。外国から入る品物にかける関税を日本だけで自由に決められないという問題です。
したがって、条約改正は一度の成功で終わる出来事ではありません。
間違えやすいポイント
- 領事裁判権の撤廃は、関税自主権の完全回復と同じではない
- 1894年は条約を結んだ年、1899年は撤廃を実施した年
- 成功の理由は陸奥個人の力だけでなく、国内制度と国際情勢にもある
- 日英通商航海条約は日英同盟とは別の条約
確認1:条約改正を支えた三つの条件を答えましょう。
国内の法律・裁判制度の整備、イギリスが日本を重視する国際情勢、陸奥宗光の外交交渉です。
確認2:1894年と1899年の違いは何ですか。
1894年は日英通商航海条約を結んだ年で、1899年は領事裁判権の撤廃が実際に実施された年です。
確認3:この時点で不平等条約の問題はすべて解決しましたか。
解決していません。領事裁判権は撤廃されましたが、関税自主権の完全回復はまだ残っていました。
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次は、幕末から1911年までの長い条約改正を一本の因果関係として説明します。