このレッスンの役割
前のレッスンでは、岩倉使節団が条約改正に失敗し、国内制度の整備が必要だと知りました。ここでは、一つの海難事件が、なぜ条約改正を求める大きな世論につながったのかを考えます。
覚えるだけでなく、「だれが、どの国の法律で、どこで裁いたか」を順に整理するのが学習のコツです。
1886年、紀伊半島沖で起きたこと
イギリス船ノルマントン号が沈没しました。船長や乗組員は救命ボートで助かりましたが、日本人乗客は助かりませんでした。
当時の日本には、外国人を日本の裁判所で裁けない領事裁判権が認められていました。そのため、イギリス人船長は日本の裁判所ではなく、イギリス側の領事裁判で扱われました。
| 見る点 | 当時の状況 |
|---|---|
| 事故が起きた場所 | 日本近海 |
| 被害を受けた人 | 日本人乗客 |
| 船長を裁く仕組み | イギリス側の領事裁判 |
| 人々が感じた問題 | 日本人が被害を受けても、日本の法律で裁けない |
最初の審理で船長が罪に問われなかったことが伝わると、日本国内では強い怒りが起こりました。その後、世論を受けた別の裁判で船長は有罪となりましたが、事件そのものが領事裁判権の不公平さを目に見える形で示しました。
なぜ条約改正の問題になったのか
問題は、判決が軽いと感じられたことだけではありません。「日本国内の事件なのに、日本が自分の法律と裁判所で扱えない」という主権の制限が中心です。
原因と結果をつなぐと、次のようになります。
領事裁判権がある → 外国人を日本の裁判所で裁けない → 判決に日本政府が十分関われない → 国民が不公平だと感じる → 条約改正を求める世論が強まる
交渉だけでは解決できなかった
外務卿の井上馨は、鹿鳴館で欧米風の社交を行い、日本が文明国であることを示そうとしました。一方、外国人裁判官を日本の裁判に加える案などには国内の反対が強まり、交渉はまとまりませんでした。大隈重信の交渉も反対を受け、条約改正は実現しませんでした。
ここで大切なのは、「政府は何もしていなかった」でも「鹿鳴館だけで改正しようとした」でもないことです。外交交渉、法律制度の整備、国内世論が同時に動いていました。
間違えやすいポイント
- ノルマントン号事件そのものが条約を改正したわけではない
- 領事裁判権は関税の問題ではなく、外国人をどこが裁くかという問題
- 条約改正への反対ではなく、政府の交渉条件への反対が起きた
確認1:日本の主権が制限されていたといえるのはなぜですか。
日本近海で日本人が被害を受けた事件でも、外国人船長を日本の法律と裁判所で裁けなかったからです。
確認2:事件から条約改正世論が強まるまでを一文で説明しましょう。
領事裁判権のため日本が自国の事件を十分に裁けない不公平さが明らかになり、撤廃を求める世論が強まったからです。
確認3:「船長が無罪だったから条約がすぐ改正された」は正しいですか。
正しくありません。最初の審理への反発は世論を強めましたが、条約改正はその後も長い交渉と国内制度の整備を必要としました。
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次は、陸奥宗光がどのような条件を整え、領事裁判権の撤廃を実現したのかを学びます。