このレッスンの役割
使節団が海外にいる間、留守政府は国内改革を進めました。帰国後、朝鮮への対応をめぐって政府が分裂します。
中心技能は、征韓論を「すぐ朝鮮を征服する案」だけに単純化せず、外交使節案、武力衝突の危険、国内改革の優先順位を説明することです。
朝鮮との国交問題
明治政府は新しい国交関係を朝鮮へ求めましたが、文書の表現や外交秩序をめぐって交渉は進みませんでした。
西郷隆盛は自ら朝鮮へ使節として赴き、国交を開く交渉を行う案を主張しました。ただし、使節が害されれば出兵の理由になる可能性があり、武力衝突へ進む危険を含みました。
内治優先
大久保利通・岩倉具視ら使節団帰国組は、海外視察から日本の国力不足を強く認識していました。
- 財政を安定させる
- 産業・軍・教育を整える
- 法制度を作る
- 国内の反乱を防ぐ
まず国内を整えるべきだとして、朝鮮への使節派遣に反対しました。
政府の分裂
1873年、朝鮮への派遣案は取り消され、西郷隆盛・板垣退助・江藤新平らが政府を去りました。これを明治六年の政変と呼びます。
政府を去った人々の一部は、士族反乱や自由民権運動など異なる道へ進みます。
対立は外交だけではない
| 表面の争点 | 背後の争点 |
|---|---|
| 朝鮮へ使節を送るか | 武力衝突を受け入れるか |
| 外交を進める時期 | 国内改革を優先するか |
| 政策決定 | 留守政府と使節団帰国組の主導権 |
| 士族の不満 | 新しい役割を海外へ求める面 |
複数の問題が重なって分裂しました。
よくある間違い
「西郷は最初から大軍で朝鮮を征服しようとした」「反対派は朝鮮との国交を永久に拒否した」は不正確です。使節案と出兵の可能性、時期と優先順位を区別します。
自分で確かめよう
確認1:西郷隆盛は最初に何を提案しましたか
自ら朝鮮へ使節として赴き、国交交渉を行う案です。確認2:帰国組が反対した中心理由は何ですか
日本の国力が不足し、産業・財政・法制度など内政を先に整える必要があると考えたからです。確認3:政変後、政府を去った人々はどうなりましたか
自由民権運動や士族反乱など、異なる政治行動へ進みました。次は、条約改正を求める世論がノルマントン号事件などを通して強まる過程を学びます。
クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。