このレッスンの役割
前のセクションでは、征韓論争で政府が分裂したことを学びました。ここでは、政府を去った板垣退助らが、なぜ武力ではなく国会の開設を求めたのかを考えます。
一部の人だけで決める政治への疑問
明治政府の重要な政策は、薩摩・長州などの出身者を中心とする少数の指導者によって決められていました。身分制度は廃止されたのに、国民が政治に意見を届ける仕組みはまだ整っていません。
1874年、板垣退助らは民撰議院設立建白書を政府に提出しました。「民撰議院」とは、国民が選んだ代表者による議会という意味です。
| 建白書が指摘したこと | 求めたこと |
|---|---|
| 政治が一部の役人に独占されている | 国民の代表が議論する議会 |
| 国民の意見が政治に届きにくい | 選挙で代表を選ぶ仕組み |
| 政策への納得を得にくい | 公開された議論による政治 |
自由と民権とは
自由民権運動の「民権」は、国民が政治に参加する権利です。単に好き勝手に行動する「自由」を求めたのではありません。国会、憲法、選挙、言論などを通して、政治に国民の意見を反映させようとしました。
因果関係で整理しましょう。
少数の政府指導者が政策を決める → 政府を去った人々や士族に不満が生まれる → 国民の代表による議会を求める → 自由民権運動が始まる
武力反乱との違い
この時期には、不満を持つ士族による反乱も起こりました。しかし自由民権運動は、建白書、演説会、新聞、結社などを使い、政治制度を変えようとした運動です。
「政府への不満」という原因は共通していても、方法と目標が異なります。
間違えやすいポイント
- 民撰議院設立建白書は憲法そのものではない
- 最初からすべての国民に選挙権を求めた運動だったとは限らない
- 板垣退助は征韓論争後に政府を去った人物
- 自由民権運動と士族反乱を同じものにしない
確認1:民撰議院設立建白書が求めたものは何ですか。
国民が選んだ代表者による議会を開き、国民の意見を政治に反映させることです。
確認2:自由民権運動と士族反乱の違いを答えましょう。
自由民権運動は建白書や演説などで政治制度の改革を求め、士族反乱は武力で政府に抵抗しました。
確認3:「民権」を自分の言葉で説明しましょう。
国民が代表者を選んだり意見を表したりして、政治に参加する権利です。
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運動は一部の元士族だけで終わりませんでした。次は、なぜ豪農や農民、各地の人々へ広がったのかを追います。