LESSON 01

黒船来航と開国

開国への反発はなぜ尊王攘夷と幕府権威の低下へつながったのか

勅許なしの調印、安政の大獄、桜田門外の変、尊王攘夷の広がりを、外交決定権と国内政治の危機として捉えます。

このレッスンの役割

前のレッスンでは、貿易開始が利益だけでなく物価上昇や金流出を生んだことを学びました。今回は、その不満が政治運動へ変わる過程を見ます。

中心技能は、尊王と攘夷を分けて理解し、それらがなぜ結びついて幕府批判になったかを説明することです。

おすすめの学び方

「外交への不満」「生活への不満」「政治の決め方への不満」を区別してから結びます。

尊王と攘夷

尊王は天皇を尊び、政治上の権威を重く見る考えです。攘夷は外国勢力を退けようとする考えです。

二つは本来同じ意味ではありません。しかし、幕府が勅許を得ずに通商条約へ調印すると、次のように結びつきました。

天皇の許可なく条約調印
+ 外国への反発
+ 物価上昇など生活不安
→ 天皇を尊び、外国を退けよという尊王攘夷
→ 幕府には国を守る力も正当性もないという批判

安政の大獄

大老井伊直弼は、条約調印や将軍の後継問題に反対する大名・公家・志士などを厳しく処罰しました。これを安政の大獄と呼びます。

幕府は反対を抑えて秩序を保とうとしました。しかし処罰は反発を強め、「幕府は正しい議論を封じている」という不信も生みました。

桜田門外の変

1860年、井伊直弼は江戸城桜田門外で水戸藩を脱藩した浪士らに暗殺されました。

大老が江戸城の近くで暗殺されたことは、幕府の治安維持と権威が揺らいでいることを示しました。

攘夷は実行できたのか

外国を追い払う主張は支持を集めましたが、実際に欧米艦隊と戦うと軍事力の差が明らかになります。長州藩の外国船砲撃や薩摩藩とイギリスの戦争などを通して、有力藩は単純な攘夷から軍備・外交を重視する方向へ変わっていきます。

考えが変わったことを「裏切り」と見るより、経験から戦略を修正したと捉えます。

幕府だけの問題ではなくなる

開国問題によって、朝廷、諸藩、武士、商人、民衆が国の方針へ関わるようになりました。外交危機が、誰が日本を統治するのかという国内の権力問題へ変わったのです。

よくある間違い

「尊王攘夷は天皇が直接命令した一つの組織」「攘夷派は外国技術をすべて拒否した」は誤りです。立場や目的は多様で、外国勢力へ反発しながら技術を学ぶ人々もいました。

自分で確かめよう

確認1:尊王と攘夷はそれぞれ何ですか尊王は天皇の権威を重んじること、攘夷は外国勢力を退けようとすることです。
確認2:なぜ二つが幕府批判と結びつきましたか幕府が勅許なしで条約を結び、外国への反発や生活不安も強まったためです。
確認3:攘夷の実行後に有力藩の考えが変化したのはなぜですか実戦で欧米の軍事力を知り、軍備と外交を現実的に進める必要を認識したためです。

最後に、条約・貿易表・政治年表を読み、開国が幕府滅亡へつながる論理を整理します。

クイズと理解チェックは、アプリで挑戦できます。