LESSON 01

大日本帝国憲法と帝国議会

伊藤博文はなぜプロイセンの憲法を調べたのか

憲法調査の目的と、日本が選んだ君主中心の立憲国家像を理解します。

このレッスンの役割

前のセクションでは、自由民権運動を受けて政府が1890年の国会開設を約束したことを学びました。ここでは、政府がどの国を参考に、どんな憲法をつくろうとしたのかを考えます。

憲法は国の設計図

憲法は、国の権力をだれが持ち、どの機関が法律をつくり、国民にどんな権利があるかを定める基本のルールです。

政府には二つの課題がありました。

  • 国会を開き、近代国家としての制度を整える
  • 天皇を中心とする国家のまとまりを保つ

この両方を満たす憲法を探す必要がありました。

イギリス型とプロイセン型

見る点 イギリス プロイセン
議会 政治で強い力を持つ 議会はあるが君主の力も強い
内閣 議会との関係が強い 君主に対する責任が中心
日本政府から見た点 民権派が支持 君主中心の国家をつくりやすい

伊藤博文はヨーロッパで憲法制度を調査し、君主権の強いプロイセンの憲法を特に参考にしました。日本の伝統や政治状況に合わせ、天皇を主権者とする制度を設計しようとしたからです。

そのままコピーではない

「プロイセン憲法を写した」とだけ覚えるのは不正確です。政府は、皇室制度、内閣制度、議会、裁判所など日本の仕組みを組み合わせました。

1885年には内閣制度ができ、伊藤博文が初代内閣総理大臣になりました。憲法だけを突然発布したのではなく、先に政治機関を整えていったのです。

因果関係

国会開設の約束 → 伊藤博文が欧州で憲法を調査 → 君主権の強いプロイセンを主に参考 → 内閣制度などを準備 → 大日本帝国憲法の発布へ

確認1:政府が憲法制定で両立しようとした二つの課題は何ですか。

近代的な議会制度を整えることと、天皇を中心とする国家のまとまりを保つことです。

確認2:伊藤博文がプロイセンを主に参考にしたのはなぜですか。

議会を持ちながら君主の権限も強く、政府が目指す天皇中心の国家に合うと考えたからです。

確認3:1885年に整えられた制度は何ですか。

内閣制度です。伊藤博文が初代内閣総理大臣になりました。

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次は、憲法がどのような形で国民に示され、主権者がだれと定められたのかを条文から読みます。